こち亀で1億円を両津勘吉がとかしたのをみた

自分を見ているかのようだった。両津は人の家で小判を掘り当ててお礼に1億円もらった。最初に寿司食ってサンダル買ってプラモも買った。そしたら金は減る。そしたら競馬で増やせば良いと彼は思った。残りの全てを賭けて全てを使ってしまったのだ。

 

僕はパチンコに行ってしまう。大きく勝ったら買い物をする。減ったらまたパチンコに行く。でも残りは全て無くなって溶けてしまう。1パチで1万発出たそばからその場で4パチの海でまた増やしたがリゼロで全部溶かすような人間だ。

 

何故パチンコに行くのか。それは根本にお金によって生活を良くしたいという気持ちがあるのではないかと思う。実は買い物依存症ぎみでもある。リサイクルショップにしょっちゅう行っては何かを買って帰らないと気が済まない。

 

何も買わなければ生活はそのまま。何かを買えば新しいものが手に入り昨日とは違う日が始まる。

 

しかし本当にそうだろうか?もうすでに自分にあるもので楽しむことはできないだろうか。そもそも最終的に自分の持ってるもので楽しむためにモノを買っているのではないか。

 

しかしそんなことよりうずうずして何かを買いたくなるのである。パチンコに行って玉を増やしたくなるのである。

 

でもやっぱりそんなことは長く続かない。すぐに無一文になる。やっぱりどこかですでにある自分のまま、同じことをやり、いつもの自分を楽しむ事でしかこの呪縛から脱出する方法はない。

 

お金で生活を良くするのではなく、既にある自分自身の力で既に持ってる道具などを使って生活を良くする事なのだ。

 

最近は毎日英語の勉強とジョギングなどの運動をしている。毎日一つでも日課を作ろうと思っている。

 

リサイクルショップで買ったものやパソコンで創作するための道具も沢山ある。ゲームもセールで沢山買った。やることはたくさんある。お金で生活を良くするより、あるもので生活を良くすることはもっと簡単である。

 

お金で今まで持ってないものを買う事でしか新しい生活は生まれないか。むしろ逆に既に買ったもので何かをやらなければ何も変わらないのではないか。

 

しかしやはりリサイクルショップは魅力的だ。無いものが有るのだ。昨日までなかったものがそこにあるかもしれない。そう思うとうずうずして居られなくなる。お金が足りないからパチンコへ行こうと思うのだ。当然無一文になり何も買えなくなる。

 

この呪縛はなかなか抜けられないことではあるが、少しずつ生活を充実させる方法を、考え方を変えていければ良いと思う。

 

世の中にはサブスクなどがありコンテンツは安価で楽しめる。というか仕事をしろという話である。働いた事がなく勇気が出ない。

 

とりあえずお金のやりくりを覚えようかと思います。

 

お読みいただきありがとうございました。