羊毛の入道雲
歯が生えてきた。それは秋の始まりの頃だった。入道雲から歯が生えてきてたちまちそれはツツジをちゅーちゅー吸う少年の元へ舞い降りて行った。
「母ちゃん甘えよ」
「何が甘いんだい、私の何が、甘かったんだい。あの時の詰めが甘かったのかい?」
「そうだよ」
少年はたちまち舞い上がった。空から降ってきたその歯は少年の亡き前歯の懐へ着地した。
「詰めが甘いのはお母さんの方かな、君の方なんじゃないかな」
新しい前歯はそう言った。
「ちがうやい、父ちゃんの足首を最後まで決めれなかった母ちゃんの詰めが甘いんだい!」
「そうかい、あれはね、母ちゃんの優しいところが出ちゃったのさ」
マチルダは言った。
「母ちゃん優しいもんね」
少年はうつむきながらほくそ笑みいやらしい笑い方をし始めた。
「たこ焼き買って帰ろ!」
「そうだね」
「ピーマンの肉詰めも買って帰ろう」
前歯も嬉しそうにそう言うとまた入道雲の方へ帰って行った。
「今のはなんだい?」
「かりそめの前歯さ!」
歯の向こう側をマチルダは思い知った。
4年後、少年は自らの歯茎から歯が生えてきたのだ。
「入道雲、大きいね、まるで羊が肥大化したようだ」
「君もあの夢を見たのかい?」
少年の友達は言った。
「ああ、あのぬれ煎餅の夢だね」
「そうだよ、で、どうだったんだい」
「ダメだった、新しい前歯ではぬれ煎餅でさえもレンガと同じさ」
「残念だったね」
少年は夢の話が苦手だった。気分が悪くなり誤魔化しながら鼻くそをほじった。少年の小指に何か硬いものが当たった。
「当たった!」
「何が?」
「歯が当たった!」
少年の鼻の穴の壁から歯が生えてきていたのだ。
「あれは入道雲の仕業さ!」
夏の入道雲は消え去り新しい秋がおとづれようとしていた。
