モニターのあるデジタル一眼レフカメラでファインダー覗いて撮ってみたら哲学が見えてきた

先日オールドレンズを手に入れてさっそく公園へ撮りに行きました。

 

その時の写真を沢山ブログに載せています。下記リンクはそのブログです。

yujiokazaki.hatenablog.com

 

 

デジタルカメラでモニターがあるのに何故ファインダーがあるのかという疑問をまだカメラについての知識が少ない僕は思ってしまっています。使い始めたころも何の疑いもなくモニターを見ながら写真を撮っていて今も主にそうやって取っています。

 

でも何となくファインダー覗いた方がプロっぽい気がするので気まぐれでたまにファインダーを覗いて撮っています。

 

そんなことをしていると気が付いたのですが、オールドレンズなどでマニュアルでフォーカスをひねって調整する時に圧倒的にファインダーをのぞいた方が瞬時にどこにフォーカスがあってるか見えやすいなと思いました。おそらくですがファインダーは解像度の概念が無くデジタルではないので、細かいところが見やすいんだと思います。なのでフォーカスがあってるところがどこか見やすい。これは僕が持っているカメラがCanonEOS Kiss X5で結構古いものなので、モニターの解像度や映り方が最新のやつより良くないからかもしれませんが、モニターよりファインダーの方がマニュアルフォーカスは合わせやすいです。解像度がめちゃくちゃいいモニターが存在してるのだとしたら、モニターでもフォーカスを合わせやすいのではないかと予想はします。分かりませんが。

 

ファインダーの仕組みが良く分かりませんが、ファインダーでのフォーカスと実際に映るフォーカスは全く同一になるのかな、というような疑問が出てきたのですが、その辺はよく分りません。上記のリンクにあるブログの写真では何割かがファインダーを覗いて撮ってます。撮ったやつをみてもそんなに違和感なかったのでおそらくフォーカスは同期されてるというか同じ状態なんだと思います。

 

ファインダーを覗いて撮る事の面白さとして、ファインダーで見たものと写真に写ったものにギャップがあるというか、色合いとか写り方とかが全然違うものと言っても良いと思います。構図だけ分かるけど撮ってみないとどんな印象のものになるのか分からないというか、ガチャガチャを回して何が出てくるか分からなくてワクワクするような気持が発生しました。いやこれはフィルムカメラの時代の人たちが当たり前のようにやっていたことですよね。今書きながらそうだなとふと思いました。ある意味ファインダー覗いて撮る事はフィルムカメラの時代の写真の撮り方を疑似体験できるのかもしれません。

 

あと老眼的な感じでたまにモニターを見てると近すぎて見にくいなと思う事があるのでそういう意味でもファインダーの方が見やすい気はします。カメラの肩からぶら下げる紐のやつをもうちょっと長くしたらカメラからもっと離れられて見やすくなるかもしれないですが。まぶしく感じてるときなんかもモニターが見にくいです。

 

しかしながら自分より下の方にある被写体を撮ったりファインダーをのぞきながらでは取りにくい角度になったりする時は完全にモニターを見る事になりました。それは仕方がないしそういうのも考えたらファインダー覗く縛りでこだわるのも不幸になるなと思いました。ファインダー覗き縛りでしか撮れないものもあるだろうし、フィルムカメラならモニターなんてありませんし、ファインダーなんて覗かずに撮れる写真もよりギャンブル性があり面白いかもしれないし、どういう風にして撮るかなんてものは何でもあると思います。

 

世の中の趣味って大体手法によって派閥みたいなのが生まれたりするじゃないですか。それはそれで人間の自然な営みだとは思います。より動物的で生物学的だと思います。社会ってそういうモノだと思います。個人的にはそれはいつどんな形で何から影響を受けてそういう先入観を持ったか、個人の脳みその特性上、どういう傾向のものを好むかによって、趣味をどのように行うか、どういう人たちと群れるかは勝手に決まってるようなもんだと思います。だからこそ一つのポジションに留まる事に少し疑問を感じたりします。なのでまあ僕はファインダーをのぞく事を一つの楽しみとして最近おぼえたので、ファインダーについての他人の見解などは、まだ初心者なのですが全く検索したりして調べてないので分かりません。知らないままファインダーを覗いて撮ってみました。おそらくファインダー覗いて撮る事とモニターを見て撮る事について世の中では色々議論があったりすることは全く知らなくても予想が付きます。色んな趣味をしたりSNSでの他人の意見などを見てるとそんなことは簡単に予想が付きます。そして、モニターだけを見て撮ることを本格派ファインダー覗きカメラマンたちが見下したりしてるんだろうなとも予想できます。最終的には「使い分け」であったり「人それぞれ」という意見を持つことが一番まともでモテるのだろうなとも思います。世の中の趣味って大体そんなもんです。でもおそらくずっと議論はされて争いは尽きないのだろうと思います。まだ検索してそのような議論があるかなんてものは調べてませんが大体そうだろうと思います。そんなのが全くない平和な世界がカメラ界にあったのだとしたら僕の勘違いです。

 

でもそういう所が人間という動物の営みだと思うんですよね。まったく想像でしか言ってないのにこういう結論を付けるのもおかしいと思うのですが、おそらく論争はあるでしょう。

 

僕はそういうのを知らないまま初心者のままカメラと向き合いたいなとは思うのですが、SNSをやっていると嫌でもそういうのが目についてしまって知ってしまいます。むしろ今僕はこんなことを書いて対立をあおるようなことをしているのでは?とも思います。何も知らない人でも思いつくような対立がもし現実にあるとしたら馬鹿らしいですよね。むきになる必要なんてないと思います。最初から動物としての特性上そうなる事が集団の中で決まっていることなんです。右翼と左翼についても僕は前頭葉と海馬の機能のバランスが違うだけだと思っています。これについてはまた思ってる妄想をすべて書き散らしたいですね。

 

とにかく僕はファインダーを覗いて撮るという事の面白さに気が付けて、それを気に入ってやることになったと思います。モニターももちろん使います。こうやって両方のことを公平に書く事も対立を鎮静化するような意識が働いているようでモヤモヤしますね。いやこれは全て僕の妄想であって欲しいんです。対立なんて絶対に無いんだ。

 

カメラってある意味ギャンブルと同じ中毒性があると思うんですよ。ファインダー覗く事がガチャガチャっぽいと言いましたが、それはおそらくカメラを撮ることの動機としてうまく働くと思います。人間は予測不能なことに惹かれてそれをやりたいと思うみたいです。ファインダーを覗いてシャッターを切った後にどんな写りになっているかな、とモニターをみて予想外の写り方をしていたりします。パチンコだって同じです。予測不能であって負けがあるから中毒性がある。ファインダーを覗いた撮影も同じで予想を反して上手くいかないがあると中毒性が出るんだろうなと思います。

 

写真はうまく撮れてなんぼという意識があったのですが、あえてうまく撮れるか分からない状況を作ってその中毒性を出すことである意味一つの娯楽としての強度を高める事もできるんじゃないかなと思います。

 

これからもしかしたらファインダーで撮る事が増えるかなあって思っています。カメラがもっと楽しくなって行くことが楽しみです。ジャズもどんどん好きになって行ってるので、趣味ってやればやるほど楽しくなっていくと良いですよね。

 

お読みいただきありがとうございました。